そこへ1968年のカーニバルのためにLa Orquesta de Kako y su Comboのバンドがニューヨークから訪れMeñiqueと共に歌った。その時からMeñiqueの音楽旅行が始まるのである。
Kakoは彼をニューヨークへ連れて行き契約を交わした。彼の滞在から3ヶ月が過ぎた頃、Kakoと共にステージに交代で出ているTito Puenteが彼の歌を聴いた。するとすぐにTito PuenteはMeñiqueの声色とスタイルに興味を持ち、Kakoと彼について話した。その後KakoはTito Puente がMeñiqueに興味がある事を本人に伝え、互いの了解の上でMeñiqueはTito Puenteと共に歌い始める。そして彼と共に“Nina y Senora”でゴールドディスクを獲得するのである。この曲は今でもヒットを続けている。
また彼は4つのLPに参加し、バンドと共にフィンランド、日本、香港、フランスのパリ、ドイツのフランクフルト、ロンドン、オランダ、その他数多くの国を旅行し、Tito Puenteとの6年間の活動後、Willie RosarioのバンドとともにLPを録音。ヒットとなり、“La Cuesta De La Fama” でゴールドディスクを獲得。
Willie Rosarioとともに、Meñiqueは2年間歌う。そしてプエルトリコや他の国を旅行し、共に歌うためにCharlie Palmieriを呼んでLPを録音。その中の“Salsa y Sabor”はゴールドディスクを獲得。ソリスタ(ソロ歌手)としての彼の音楽の活躍は続き、LP3枚を"Cotique Record"で録音することになった。 Tito Allenからハリウッドで録音しないかと誘われ、“Noche Caliente”を録音。プロデューサーはピアニスト兼編曲者Sergio Georgeであった。
その後、2枚目のディスクではディレクター&プロデューサーにLarry Harlowを迎えて、ニューヨークで録音。この中でMeñiqueは自らのインスピレーションで3曲をレコーディング。Puerto RicoのChaney バンドは一緒にレコーディングをするために彼を呼び、Meñiqueはプエルトリコに引越してArchie Pereiraとともに自らのバンドを作る。そしてMeñique en Blanco Y NegroのLPを録音する。その中で”La Geva Aquella”と“Te quiero Corazón”がヒットとなった。ニューヨークに戻りArsenio RodriguezとともにEl Rey del Tresをレコーディング。またCuba Habanaバンドともレコーディングした。ティンバレロのPapo Colónとのレコーディングでは、“De Panamá a Puerto Rico”がヒットし、Santitos ColónとTito Puente とで“Long Live to the King”をレコーディングした。
Meñiqueは最後にソリスタとしてフランス、オランダ、プエルトリコ、パナマを旅行。近年ではプエルトリコで最も優秀なソリスタとともにオーランド、タンパやマイアミで取り上げられている。2003年の7月に、パナマまで10曲の新しいCDをレコーディングするために旅行。10曲の中の9曲は自分のインスピレーションで、Meñique Sonero Añejoと名付けられた。
パナマの偉大な歌手は多くの歌手にインスピレーションを与え、その背の低さとすばらしい声で世界中にファンを持っていたが、サルサの歴史の中にはあまり彼についてのコメントはないのである。